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村松志保子・・・調査・研究・書|村松志保子研究会

muramatsusihoko relief

発足から15年 新タワー開業年の 2012年7月8日 「村松志保子・ブロンズレリーフ」の 完成披露が 行われました。
村松志保子 が 横網の地で活躍して130年、ゆかりの地です。
デザイン、製作は 日展・日彫展 審査委員の 田畑功氏



墨田区横網・ろうけん隅田秋光園に建立
村松志保子・ブロンズレリーフ


ご来場者様

披露序幕には 村松志保子助産師顕彰会初代会長・広瀬綾子様、現会長・南野知恵子様 他 役員の 皆々様。
(社)日本助産師会・岡本喜代子会長 皆様、笑顔の中でのお披露目でした。



2012年7月 ブロンズレリーフ 開幕にご来場の皆様 ありがとうございました。


 



村松志保子研究会 所蔵の貴重証言の数々

書 「村松志保子 所蔵の貴重証言の数々」
八杉家から頂いた貴重な資料と八杉貞利先生使用の100年机(寄贈ご協力・八杉佐恵様・八杉美佐子様・磯野文江様)

1892年     明治25年3月18日読売新聞「十六名媛当選披露」

 和文家339点 税所敦子。教育家275点 棚橋絢子。洋楽家184点 加藤錦子。
小説家342点 田邊龍子。宗教家152点 矢島かぢ子。家政家41点 谷くま子 
交際家172点 土方かめ子。裁縫家 14点 竹内豊子。日本音楽家95点 長原梅園。   
西洋音楽家307点 幸田信子。書 家173点 税所敦子。畫 家211点 跡見花渓。
 風流家 84点 上杉かつ子。舞踏家 50点 高木富子。産醫家791点 村松志ほ子     
美貌家156点 塚原ふみ子。
以上が十六名媛の発表ですが、明治24年東京産婆会を退会し、貧困妊婦を助ける慈善の心と、 女徳腐敗と思われた女性の教育に没頭したことが、多くの人々に賛同され、時代のヒーローの 様に考えられ多くの投票があったと推測されます。

 


「すみだやさしいまち宣言」の先駆者 村松 志保子
                     墨田区長 山崎 昇
日本で最初の女医から助産師となり、墨田区(旧本所区)横網町で
活躍した「村松志保子」さんの顕著な功績が、原島早智子さんや
顕彰会の皆さんのご尽力により次第に明らかにされています。
 村松さんの「崇高な精神」と「高邁な志」に溢れた活動は」、2000年
に墨田区がはじめました「すみだやさしいまち宣言〜人と地域と
環境のために〜」の理念や行動指針と相通じるものも多く、やさしい
まちづくりの先駆者として高く評価しているところです。
今後も、村松さんの功績が多くの人々の心に宿り、顕彰され続ける事を期待
しています。
                          平成十八年 四月 吉日


沼田藩三代に亘り「玄庵」の名で御典医を努めた家系「村松家」は男子の育たない家でした。
そんな環境の中で「いのちの尊さ」「おもいやり」「やさしさ」を 両親から学びました。
父 玄庵からは貧しい人から医療費を取らない、母からは 女性としての教育、二人だけの姉妹愛、すべて 志保子の人生に影響しました。
志保子の人物像調査、研究が 明かされてゆくのに 14年の時が流れました。
すべての解明はまだまだです。
大震災、放射能汚染も重なり、命の尊さが叫ばれるなか村松志保子が恵まれているからでは! なく 家族の絆・周囲との和を 金銭で 図ることなく、命の源を教育した それらの記録の一部が 一部から六部におさめられております。
国立国会図書館及び 墨田区立・緑図書館に あります。
 上記のトップ当選発表後読売新聞に 産医家当選者・安生堂産医院長 村松志保子履歴紹介が あります。

1892年 明治25年3月20日読売新聞
産医家当選者 村松志穂子
 安生堂産院長 村松志穂子として次の様な紹介(履歴)があります。
沼田藩士 村松玄庵翁の長女である。
父は漢方医学に通じ傍ら針治療も能く、夙に典医に挙げられ禄高百五十石なり。
女史幼くして孔盂の書を学び六歳にて藩主、土岐頼知候に召され夫人萬千子に仕え寵愛されます。
当時藩文学盛んにして学者乏しきため大いに志保子の志を励まします。
夫人の側を辞し父の元で勤勉に学習しました。
兄弟あるも不幸にして皆なくなります。
医業継承する者なく志保子はこれを心配し、自ら女医を目指し、父に従い医書を学び針術も修めます。
後 父老いて子孫無きを憂い医師某を迎えるも琴瑟相和せず、数年花柳界を徘徊し、財も傷つけます。
志保子は泣き伏し諫め、食事も出来ぬほど傷つきます。
ついに離婚いたします。
その後どんなに勧められても再婚は固辞いたしました。
一心医術に励み、英書の研究をし、その時志保子は産婆学の必要を感じ、済世学舎に入り、桜井学校に通います。
東京産婆養成所に投じ蛍雪効積み、明治14年3月卒後本所横網に開院、大いに産医家として驚かれます。
志保子の想いは「当時我国の女徳大いに腐敗しやゝもすると、華者淫猥に、流るゝ風あり」として、翌15年淑女館を創設し女風の改造に努めます。
そして安生堂産婆学校を開校します。


村松志保子 調査研究 第一部から第十部

※注 第一部から第六部は、国立国会図書館及び墨田区立緑図書館にあります

第一部 第二部
第三部 第四部
第五部 第六部
第七部 第八部
第九部 第十部

第四回いのちとやさしさフォーラム

村松志保子研究会 主催  
第四回「いのちとやさしさフォーラム」開催
日時・5月6日・すみだリバーサイドホール・会議室
2014年度は 誕生の感激を忘れないように! 横田めぐみちゃんと 御参加のお子様、現在 食事もできない 中央アフリカに3月訪問の アフリカ友の会。徳永瑞子先生の報告写真と 横田滋・早紀江ご夫妻,公社・日本助産師会 岡本喜代子会長、村松志保子助産師顕彰会・ 南野知恵子会長他役員、千葉明徳学園付属 本八幡駅保育園・丸山敦子園長それぞれの 講演と千葉明徳学園短大・准教授他4名の 先生山岡鉄舟研究会の皆様、墨田区文化財 調査員、松島茂様、村松志保子研究会・坂田 静子座長様などお迎え座談会が盛大に開催 されました。
墨田区でこの様な写真展は初めて です。

 


 

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